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ブックマーク / kenmogi.cocolog-nifty.com (2)

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 京都大学等におけるカンニング事件について

    今回の京都大学をはじめとする入試における「カンニング事件」は、いろいろな意味で心が痛む。 京都大学が被害届けを出し、「偽計業務妨害罪」でカンニングをした学生が逮捕されるに至ったことに、強い違和感を覚えるものである。 その理由の第一は、「大学の自治」、「学問の自由」にある。 入学者をどのように選考するか、という問題は、「大学の自治」の根幹にかかわるものと考える。どのような資質を持った人から、大学を構成するかということは、大学における学問、研究、教授の基礎をなすものであり、大学が、もっとも大事にしなければならない点である。 1952年の「東大ポポロ事件」に見るように、かつては、大学の自治はもっと大切にされ、さまざまな議論があったと思う。今回の事件において、京都大学の関係者が「被害届け」を出してしまったことは、「大学の自治」の点から疑問である。日の大学が、大きく変質してしまったことを感じる。

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 「偶有性」について

    今回の事態で、改めて「偶有性」について、現場における身体感覚を通して考えている。 以下、「偶有性」について、斎藤環さんとの往復書簡における、私の二番目の返信より。 (全文は、 http://sofusha.moe-nifty.com/series_02/ をご参照ください。) 以上、Merriam-Webster's Online dictionaryにおいて与えられている定義に沿って、contingencyという概念が、今日の認知神経科学においてどのような意義を持っているかを記述しました。このような意味におけるcontingencyは、日語でいえば「不確実な相関」あるいは、「半ば確実であり、半ば不確実である」というような意義にとらえられるでありましょうが、そのようなニュアンスをすべて要約して、私は「偶有性」という言葉をもちいています。 もちろん、このような意味におけるcontingen

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