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ブックマーク / sakura.canvas.ne.jp (2)

  • Web評論誌「コーラ」11号 <倫理の現在形>第10回

    私はアカデミズムの場でフェミニズムに携わる若年フェミニストとして、フェミニズムに対して違和感を抱き続けている。フェミニズムによって私自身が救われた経験を持ちつつも、何か、やり過ごせないひっかかりが残る。この違和感はいったい、何なのか。 「フェミニズムに対する違和感」が、異議申し立てや反動などの形で現れたのは、最近のことではない。海外に視点を移せばフェミニズムに対する批判は、もっと以前から展開されてきた。1980年代のアメリカにおいて、「フェミニズムは白人高学歴女性の諸権利を拡大していくもの」という異論を唱え、「ブラックフェミニズム」としてその意義を唱えていこうとした1人に、ベル・フックスがいる。彼女の著書『ブラック・フェミニストの主張──周縁から中心へ』から、当時彼女がどれほどの勇気を持って、黒人女性として声を上げていったのかがうかがえる。白人のフェミニストたちについて、フックスは次のよう

    calibaby
    calibaby 2010/08/19
    タイトル負け。肩透かし。「震えながら」申すほどヤバいこと?あ、大学院の人だから、こんなことも言うのが怖いのか??結局その業界が「就職先」なわけだから「震え」るのか…。その萎縮ぶりが印象に残った。ファイ
  • WEB評論誌「コーラ」4号/「新・映画館の日々」第4回:私たちは「表象の横奪」論をほってはおかない

    やおい/BLは、主にレズビアン/ゲイ・スタディーズの分野から批判的に評価されてきた。ゲイにファンタジーを押しつける、ゲイを「一角獣のような幻の存在」として描いており「不愉快」である、男性同性愛者の性を商品化した差別表現であるなどと批判されてきた。これらをまとめて表象の横奪(the appropriation of representation)の問題と呼んでおく。 (石田仁「ほっといてくださいという表明」 『ユリイカ』2008年12月臨時増刊号 総特集BLスタディーズ)> 1 それは〈私たち〉にとって何であるか 稿の表題はエピグラフとして引いた石田論文への応答というよりは軽くガンつける挨拶するくらいのつもりでテキトーにでっち上げられたものだが、ここでいう〈私たち〉とは、論文に慣用的に使われて嫌う人もいる(私はけっこう好き)一人称複数ではなく、具体的な二者を指している。むろん、読む人は

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