沖縄で暮らしているころは毎日フリピンくらいの海域まで天気図を見ていた。台風オタクっぽくもなっていた。東京に戻ると台風を忘れる。 昨晩のはてなスター騒ぎだが、ざっと見渡すと否定的な意見が多い。ちょっと誤解されるかもだけど、個人的には選択可能なサービスだったらよかったのにというに尽きる。ただ、これを普及させるにはこのくらいゴリっとやるしかないかというのも理解できないわけではないし、そのゴリ感が今の5万人はてな村を広げるのに必要なのかもしれない。 なんだか弁解めくが、私はミクシィはほとんど使わない。ただ、ミクシィにメッセージがあれば見られるようにはしている。他、ボツエントリの墓場にしている。コミュニティ活動をしなければなと思いつつ。なんとなく手薄。で、ようはネットでの交友関係みたいなものだが、たとえば、私はこの日記のコメント欄はかなり好きで、それを手放して別サービスに行くのはちょっとうっとうしい
2ちゃんねるはなぜ潰れないのか? (扶桑社新書) 作者: 西村博之出版社/メーカー: 扶桑社発売日: 2007/06/29メディア: 新書購入: 18人 クリック: 338回この商品を含むブログ (335件) を見る あったあった。あったので早速買って、読了です。 おれは「ウェブ進化論」よりも、ひろゆき氏が語る――オビにも書いてある――「もうこれ以上、インターネットは社会を変えない。」という主張に共感できるんだな。彼はインターネットの今後に悲観的だ。経済活動がある以上、企業はカネ儲けを優先し、何らかの枷をつけて顧客を相手にする。 今は何をやるにもカネが必要だ。おれはプロバイダに接続料金を払い忘れていた。つい3時間前まで、今日の朝からインターネットが自宅で出来なかった。これが枷だ。ネットはオープンだ、何だと持てはやされているワリにはこんな程度だ。電気や水だってそうなんだから、当たり前。カネが
なぜウェブは資本主義を越えていくのか 池田信夫「ウェブは資本主義を越えていく」(ISBN:4822245969)を読んだ。本書では、この野心的な題名の意味はなにかを経済学的に説明している。 資本主義社会の前提は、資本が稀少で労働は過剰だということだ。工場を建てて多くの労働者を集める資金をもっているのは限られた資本家だから、資本の希少性の価値として利潤が生まれる。・・・情報の生産については・・・ムーアの法則によって1960年代から今日まで計算能力の価格は1億分の1になった。・・・こうなると工場に労働者を集めるよりも、労働者が各自で「工場」をもって生産する方式が効率的になる。P96 これによってITの世界では、資本家と労働者を区別している「資本」の意味がなくなり、だれもが情報生産を行うことだできるようになった。「物質的生産の領域のかなた」にあるサイバースペースでは「貨幣の消滅」が起こるかもしれ
続きのような⇒finalventの日記 - 心の統一性と「私」 で、「私」の単一性、というフレームではなく、具体的に先のマルコ青年のフレームだと、コミュ・ツールで幻視される人ってどうよ?ということではないか? このフレームを外していたら、大笑い、なんだろうけど。 仮にそうだとして。 たとえば、finalventというのは、この形態のコミュ・ツールを使った幻想なわけだ。 ちょっと比喩的になんだけど、私としては、当初、こんな日記を展開すると思ってもいなかった。極東ブログで終わりでいいと思っていたし、今でもけっこうそれはそうなのだが、というか、極東ブログはこの日記より開いて書いている。曖昧とか難しいとかあるかもしれないけど、私としては読む側が歩み寄ってくれればわかるようなスタンスにしてある。 こちらの日記はけっこうそういう配慮なし。ある意味でめちゃくちゃ。 で、たぶん、これがこのコミュツールでで
どうでもいいことなんだが。 戦後を見つめてきた老政治家が逝った。 なんとなく日本語的にひっかかるのは、「逝った」に「老政治家」だからだろうか。つまり、「老」がひっかかるのか私の語感では。 オワタという感じでしょうか。これで楽天はどうなるか。いろいろ出てくるのか。アレとか出てきたら世間的にはドンビキだろうがさて出すのか、わかんね。 産経の社説ではリクルートへの言及がない。なくてもいいといえばそうだが。 ⇒TBS、リクルートと資本提携 : NIKKEI NET:企業 ニュース 社説としてはこれはよくまとまっているな。あっと言う間に忘れ去れる人かもしれないので、こういうウィキペディアみたいな記述はまさにウィキペディアにでも残しておけばいいのに。 今、安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を掲げている。戦後レジームを体現した政治家とも言える宮沢氏は、生涯の終わりに、この時代の政治の姿に、どんな思いを
若いときツバメが好きで、ツバメを見に歩いたことがある。民家とか小汚い印象の商店街でのツバメの調和は面白い絵になる。が、当時だったか改装の始まった町田駅のツバメの巣はなにか痛々しい感じがした。ツバメたちが日本に戻ったら、その風景が変わっていたということか、ツバメはお構いなしだったか。ただ、ツバメたちの住みやすい町田駅ではなくなっただろう、と思いだし、そういえば、ツバメの消えたあの駅、あの駅といろいろ連想した。悲しいわけではない。そういうものだというのがまずある。 昨日、ある意味で名指しで人を批判するようなエントリを書き、久しぶりに、ネットでいうところの涙目状態になった。幾人かはわかってくれたようだが、現在のブログのシーンは実は抽象的なクラスターにはならない。もっと特定の人の動きが見えるし、そこを見ないで議論するのは前提的な欺瞞を含む。そしてそうした人の動きのなかに、どう釈明しようが私=fin
2007年07月02日00:45 カテゴリCulture 世代論には(いい)訳がある 私自身、ものごとを決めるときには世代論にはほとんど重きをおかないのだけど、しかしなぜ世代論が発生するかは理解できる。 批評には世代論がついてまわる 映画批評を生産/消費している層とは、ヌーベルバーグの作家たちが旺盛に作品を発表していた時期に学生であった人たちなのである。 マンガ批評を生産/消費している層とは、ニューウェーブの作家たちが作品を発表し始めていた時期に学生であった人たちなのである。 アニメ批評を生産/消費している層とは、ヤマトかガンダムかエヴァがブームだった時期に思春期だった人たちなのである。 美少女ゲーム批評を生産/消費している層とは、Leaf・Keyがブレイクする時期に思春期だった人たちなのである。 例えば明治維新の頃、世代論はほとんど話題にならなかったはずだ。その代わり、話題になっていたの
現在のインターネットのシーンでこれを読まなければ先には進めないよという一冊があるとすれば本書だろう。ただし、すでにブログシーンのコアなところに漬かっている人なら、知っている話ばかりであるという印象を持つかもしれない。あるいは、ある種のボックスに分類されるべき視点からの思索ノート群に見えるかもしれない。私もどちらかというと当初ざっと目を通したときにそう思った。再読して大いに反省した。 個々の点においては重箱の隅をつつくような批判も可能だが、この書籍全体が示唆するものは相当に長い射程を持っている。最初にここから引用し紹介するのは反って誤解を招きかねないが、次の指摘は一見すると柄谷行人あたりが言いそうなごく当たり前のことのようにも思えるが、この要点を思索の根幹に据えて、ITの未来を正確に見ている人は少ないのではないか。 マルクスの未来社会像としては『ゴーダ綱領批判』の「各人はその能力に応じて働き
finalvent氏から、拙著への書評をいただいた。彼は私と同世代なので、マルクスを軸にして私の議論を理解したのだと思うが、これは当たっている。実は私も、ドゥルーズではないが、死ぬまでにマルクスについての本を書こうと思っている(出してやろうという版元があればよろしく)。サイバースペースに見えてきた世界が、彼のいう「自由の国」に似ているからだ。 マルクスは自由の国を、労働が生活手段ではなく目的となるような世界とし、そこでは生産力は増大して無限の富が実現すると考えた(『ゴータ綱領批判』)。これは彼のユートピア的な側面を示すものとしてよく嘲笑されるが、サイバースペースでは、人々がOSSを開発するのもブログを書くのも生活手段ではないだろう。労働が目的になれば、マルクスも予言したように貨幣(賃金)は必要なくなる。またデジタル情報に稀少性はないから、「協同的な富が過剰に湧き出る」ので、財産権には意味
私は、1995年頃からネットに関係する仕事をしていて、だから、ついついプライベートでも雑談や相談ごとの中で「それはネットで(メールで)出来ますよ/探せますよ/随分楽になりますよ」等という発言をしてしまうことが多かった。そして、それに「私はそういうの駄目なタイプなんで」と答えてくる人が結構いた。 「タイプ」というからにはそれは何があっても一生変化しない属性であるはずなので、「だったらおまえ2007年の今でもネットやってないだろうな」と言いたくなるが、職種年齢性別性格その他さまざまであるがごく普通の社会人であったそれらの人たちは、たぶんというかほぼ確実に今はやっているだろう。 因果は巡って、Twitterというサービスが流行っていると聞いてその概要を知った瞬間に、私は「あっ、私こういうの駄目なタイプ」と思ってしまった。 第1回 Twitterキホンのキホン|gihyo.jp 新SNS「Twit
Rich Chen(ex-Google、Hatena Inc.取締役)と「はてなの経営」について話をしていると、彼の「グローバルな発想」からいつも新鮮な刺激を受け、学ぶことが大きい。それは彼がアメリカ人だからではなく「英語圏のネット世界」に「住むように暮らしてきた」からである。日本人と日本語圏とネット上の日本語圏ってほとんど一致しているから、ネットを日常的に使うことで「世界」とか「グローバル」を実感するってことはほとんどないと思うけど、「英語圏のネット」って本当に「世界」「グローバル」への広がりを実感できる。 「はてなが仮にスケールアップできるようになったとき、エンジニアをこれからどこで採用したらいいのか」という議論でも、Richは「リトアニアかハンガリーがいいんじゃん」とか、いきなり自然体で言う。しっかりした教育を受けた優秀でやる気のある若者たちが世界中でどんどん量産され(だって皆、寸暇
すみません、見出しは演出です。 以下のところから。 →ブログ検索 - ブログ総合情報 - ブログファン →はてなダイアリー 毎月のアクティブユーザー数 2006-12 2007-01 2007-02 2007-03 2007-04 2007-05 56653 59588 57672 59221 57199 57528 べつに「はてな」に限らず、個人的には「ブログ」というツール(ネットの遊び場)に手詰まり感を感じているわけです。自己表現として何かを世の中に出したいと思っている人間より、仲間と楽しく特定のサービスを使いたいと思っている人間のほうが圧倒的に多いわけで、そういう人はケータイ・コミュニケーションとかmixi(18歳以上)に行っている、ということでしょう。 確かに「ブログ検索 - ブログ総合情報 - ブログファン」では、未だにそれなりの伸びを示しているところもあり*1、なんですが、スパ
GIGAZINEが今の形になるまでいくつかのネットコミュニティに参加したことがあり、主催などもしたことがあります。ゼロから作られたコミュニティの初期メンバーとして参加し、その栄枯盛衰を目撃したこともあります。それらの経験などから、コミュニティをビジネスの中核とすることは大変な困難を伴うことだと感じました。 ここでは、ネット上のコミュニティが「崩壊」するという最悪の結末、そして崩壊をすべて回避した最終形態について考えてみようと思います。コミュニティを中心とするビジネスや、ユーザー参加型コンテンツ、あるいはそういうコミュニティを主催・運営する方々の指針となれば幸いです。 ~もくじ~ 1.「ときめきメモリアルオンライン」に見るコミュニティ完全崩壊への流れ 2.創成期~成長期:炎上して燃え尽きるまで 3.円熟期~硬直期:後先考えず食らいつくす「ネットイナゴ」化 4.衰退期:SNSに見るユーザー大移
誰だって一人や二人、どうしてもウマの合わない嫌いな人がいるものさ、にんげんだもの 。 正直、僕も嫌いなブロガーが何人もいたりするわけですが、そのほとんどが「嫌い」という理由だけですべての関わりを絶つのはもったいない人である、と考えています。 ですから、RSSリーダーに登録して積極的に読む、ということはしないものの、(ネット上の)知人が言及していたり、はてなブックマークの「お気に入り」で見かけた時は、極力「嫌いな奴の文章」という先入観を排除して読むことが多いですね。 そうすることで、それまで気づかなかった相手の良い所や、自分との共通点を見出させることも、決して珍しいことではありませんし、場合によっては共感を覚えることもあったりします。 それでもやっぱり「こんな奴とは絶対に分かり合えない、存在自体が許せない」という人もいるかもしれません。 どんなに相手がすばらしい記事を書いていようとも、全てを
「ネットイナゴ」対策の仕様によっては、はてなをつかうのをやめます。 対応によっては、はてなユーザがごっそりいなくなってしまうかもしれない。そのぐらいの覚悟で対策を決めてほしいと思います。 小倉弁護士。 池田信夫先生。 これら、必然的に荒れる要素を持った方々のブログは、結局何をしたって荒れます。アクセス数が上がるだけで絶対に荒れます。コメントやトラックバックを受け付けている限りそこは絶対に荒れます。ブックマークも絶対に荒れます。2chにスレがたって本人に見えなくてもそこで荒れます。2chで削除依頼が通ったとしても、mixiの誰かの日記でこっそり荒れているでしょう。 それなのに、これら「わかってない」方々のためにシステム的な対策が入り、その対策を私が不当だと感じたら、はてなをやめるでしょう。 「社会的に高い自分の地位」という重力に魂を引かれて自らが何をしているのかわかっていない者達。 なぜ若輩
Long Tail World: 見えすぎるGoogleストリートビュー:Google Street View Knows... Google Map に追加された「ストリートビュー」という機能が、たくさんの悲喜劇を生み出しているという話。 ひとつひとつの事件がそれぞれ面白くて、ニコニコ動画のようなコメント機能とこれがマッシュアップされたりしたら、もっと楽しいだろうなと思った。 しかし、注目すべきは、これを正当化するGoogleの論理。 米国では公共の場で撮影するのは合法だ。グーグルは「人が道を歩いていて見える風景となんら変わらない画像を見せている」という理屈。 これは、一般化すると「公的領域に存在する物体は全部スキャンします」と言っているのだと思う。つまり、「1人が見るのも60億人が見るのも同等であり、パブリックであるというのはそういうことだ」と宣言しているのだ。グーグルは、公的領域と私
昨晩は食事がステーキだったのでワインを少し飲んだ。このところ寝る前に乾きをいやすようにビール小瓶を一つ飲むが習慣的になりそうなので、やめてお茶でも飲んだ。寝付かれないだろうと思ったが、早々に寝てしまったようだ。 朝起きると、うひゃまた全身筋肉痛。身体は疲れていたのか。前回ほど痛くはないが、なんか歳かな俺とか思うが、朝立ちは良し。 若いフリもできる歳ではないがそう身体が老いてもいない。心の老かたはなんとも微妙だ。うまく言えないが、恋のような狂気ではなく、静かに人を愛したり、あるいは世の中できるだけ平和であってくれ(私は消極的な平和主義だよ)と思う思いのなかにこの世にあることの切なさというか老いがあるな。 さて目が覚めて、と、ケータイでfeecleにアクセスし、起床、とでも書こうかと思ったらメンテらしい。なんか少しさみしいような感じもした。みんな起きたかぁ月曜日。 ぼんやりとネットを見るが、さ
陳腐な話題に思えた。コメントもまた陳腐になるので、略、と。 いろいろ思った。このところ寝る前にビールを一缶飲むのが癖になりつつあるので、癖というのもなんなのでやめとくか。それとも水泳のあとビアガーデンでも物色するか、でもそうすると食事が乱れるしとかとか。で、昨日は奇妙な乾き感もあって、あと半缶ほどのみ、なんとなく寝てしまった。裸に近いかっこうで寝たので身体が冷えたのか明け方目が覚めると喉が少し痛かった。いい気になって若いノリで生きていくことはできないなと苦笑しつつ、ぼんやりした頭にぼうっと宇多田の曲とかぶちこんで目覚め、いつもの朝食。この数日feecleは食事ブログになりつつある。実際自分がどんなもの食っているのか自分でもあんまり自覚してないからいいかな。けっこう食は波がある。 ぼんやりといろいろ思った。身体がだるっとしているせいか朝立ちが弱い。と思い返すと、昨日もけっこう泳いだのだった。
「人」という字は、二人の人が談合してもたれあっている姿をあらわしている。 フューチャリスト宣言 (ちくま新書) この本は、「談合論」の本だと思う。 「陰謀論」が世の中の全ての悪を「陰謀」のせいにするように、「談合論」は世の中の問題の根源を談合に帰着させる。 茂木 日本にも反体制、ヒッピーっぽい人はいますが、その人たちは往々にして技術をもっていない。しかも、うらめしそうな視点(ルサンチマン)を世界に対してもっている。意欲でも権威の側に負けていることが多い。でもアメリカには全然違うタイプがいますよね。 梅田 テクノロジーがそういう人たちをエンパワーすると信じるのが、シリコンバレーの特徴でしょう。(中略)権威と闘う道具としてのテクノロジーということです。(中略)日本企業の研究所の若い人たちだって、ユーチューブを一年以上前から見ているわけですよ。でもユーチューブを見た瞬間から、俺たちはやっちゃいけ
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