この度、思うところがあって、WANの理事を辞める意思をお伝えさせていただいています。お返事はありませんが、6月14日にその旨をお伝えしてあります。NPOですので、すぐに辞任したりできるものではありませんので、任期までは残留すると思いますが、私個人は辞任の気持ちをお伝えしております。 思えば長い間、お世話になりました。これからの団体の発展をお祈りしつつ、理事からは退かせていただきます。ありがとうございました。
私の論文に対する小宮さんからの批判には、すべて反論しましたので、もうこれ以上twitterなどでは終わりになるといいと思います。泥仕合になるのは良くないと思いますが。小宮さんは、私の論点の3にだけ反論されて、私を「差別者」と呼ぶことへの反論の残りの論点に関しては、お答えになりませんでした。補足の形で追加されたようです。↓ はい?https://t.co/shTnwd3xcT 私はこの件で千田さんと何か議論をしようとは思っていません。 (略)それに対して千田さんが「いやこのように差別的ではないのだ」という説明をされて、それを読んだ若手研究者や当事者の研究者が「なるほどよかった」と思って安心できるならそれで終わりです。 — 伏見憲明&伏見 bot (@noriakimiya) April 21, 2022 「はい?」という気持ちは共有しつつも(失礼)、一応これで収束かなと思っていました。しかし
先の投稿を書き上げてから、小宮さんによる批判(批判1、批判2)を読んだ。学問の徒として、非常に悲しい気持ちでいっぱいである。小宮さんがされていることは、すでに私への批判を超えて、どう表現していいのか悩むが、いわば学問への信頼そのものを揺るがす行為ではないか。すでに私個人の問題だけではなくなっているように思うので、簡単にここに記す。 1.特集公募の査読が甘いと言い続ける理由は何ですか?まず驚いたことは、小宮さんが私の論文が掲載されていることをもって、下記のように評論の公募特集の査読は甘いのだ、ということを繰り返して述べられていることです。私はこれまでの自分の投稿経験や、ほかの学会の編集委員や査読委員として活動した経験、そして『社会学評論』そのもので査読を行った経験から言って、そのようなことはとうてい感じませんでした。SNS上でも、小宮さんのこうした発言に、異議を唱えられる声も出ていました。当
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