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議論に関するcustardtarteのブックマーク (2)

  • イケダハヤトさんへの手紙 : 敵意ある他者との対話について

    ブログ記事「イケダハヤトさんの『他人を批判するときにユーモアを使うのは「卑怯」です』の感想」に対してイケダハヤトさんからメールいただいたことがきっかけとなり、以下のようなメール(一部)を頂戴しました。 特にツイッター、ブログ上で敵意ある他者と対話する際に、何が必要だとお考えになりますか?ああいった場合の対話の方法について、明文化したいんです。 その返信をイケダハヤトさんの許諾を得て公開します。Webとして読みやすいようにHTMLタグを整えたことと、誤字を修正したこと、プライベートな内容を伏せた他は原文のままです。 日時: Sun, 30 Jun 2013 22:20:08 +0900 イケダハヤトさん 徳丸です。メール拝見しました。 対話の話題に入る前に、批判の話から始めたいと思います(編注:イケダハヤトさんのブログエントリ『プロブロガー・イケダハヤト流「批判の作法」』を想定しています)が

  • アイヒマンは、いつでもその身を隠す(2006/04/08) - モジモジ君のブログ。みたいな。

    id:otsune氏へのコメントへの応答。 おかしいのは「実態にあっていない規則」のほうであって、たとえ「命に関わることを要求して座り込む」人に対して、窓口の担当者が立場的にルールに沿った発言した出来ないとしても、窓口の人がルールを守って職務を遂行していることを非難するのはおかしいでしょう。 ……と、私(otsune)の価値観では考えますよ。それをmojimojiさんの価値観では非難しますよ。という事ですよね。 非常によく理解できます。 otsune氏は、ここで支持する/しないを、「座りこみをする人を支持するor担当者を支持する」というフレームワークに封じ込めたところでしか思考しない。あるいはできない。そして、そのように封じ込めることによって、otsune氏のような発想は維持される。彼は、異議申し立てを、頭からはねつけたりはしないのだ。少なくとも主観的には。つまり、otsune氏のような人

    アイヒマンは、いつでもその身を隠す(2006/04/08) - モジモジ君のブログ。みたいな。
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