【沖縄戦:1945年6月24日】宮古島の沖縄戦─第32軍壊滅後も続いた宮古諸島への空襲と、沖縄戦降伏調印後も利用され続けた日本軍「慰安所」 激化した宮古、八重山への空襲 4月1日以降、米軍が沖縄島に上陸し激しい地上戦が戦われたが、宮古、八重山諸島(先島諸島)では、連日のように米軍や英軍による激しい空襲がおこなわれた。また時に洋上の軍艦が艦砲射撃をしてくることもあったという。 宮古、八重山への空襲は、沖縄洋上に展開する米英の空母を発進した艦載機がおこなったが、地上部隊が沖縄各地の飛行場を制圧し、使用可能なように修復すると、沖縄島から発進した航空部隊が宮古、八重山を空襲することになる(沖縄島を発進した航空部隊が九州を空襲したことは既に述べた通りである)。 沖縄島から発進した航空部隊が宮古、八重山を空襲したのは5月18日が最初であり、5月末から6月初頭にかけて一時期衰えるが、第32軍が壊滅した6