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ブックマーク / tanken.com (2)

  • 東洋一の星製薬と阿片事件 | 探検コム

    大航海時代、ヨーロッパ人のアジア進出を阻んだ大きな壁が、蚊が媒介する感染症マラリアでした。 南米ペルーに自生するキナという植物がマラリアに効くことは17世紀から知られていましたが、成分を薬にまで精製する技術はありませんでした。 ようやく19世紀の初頭、キニーネというアルカロイド成分の分離に成功、これがマラリアの特効薬となったことを受け、東南アジアの植民地化が進みました。 ペルー原産のキナは、その後、オランダ領ジャワに移植され、20世紀初頭にはジャワ産が世界市場を独占していました。 どうしてペルー原産の植物がジャワ島に移ったかというと、あるイギリス人がペルーの山中でもっとも医薬品に向いたキナ種を探し出し、これをイギリス政府に献上したものの、政府はまったく関心を示さない。そこで、この人物はオランダ政府にこの種を買ってもらったのです。キナの将来性に気づいたオランダ政府が、ジャワに移植し、特産品と

  • レイテ島と山梨県甲府市の日本住血吸虫 | 探検コム

    軍に追い詰められ、フィリピンから脱出したマッカーサーが残した有名な言葉が “I shall return.” で、訳せば「絶対に戻ってくる」。 その言葉通り、フィリピンのレイテ島にマッカーサーが再上陸したのは、1944年10月20日のことでした。 この日の前日、日軍は「捷一号作戦」を発令しており、米軍に対し、徹底抗戦することが決まっていました。こうして、レイテ島は「天王山の戦い」となり、大激戦が始まります。 12月28日、日軍は島の北西部にあるカンギポット山に司令部を移します。 1945年1月1日、カンギポット周辺にいた1万人近い日兵は、米の飯を炊いて正月を祝いました。いかにも平和的な光景ですが、実態は大きく異なります。 レイテ島の戦いを描いた大岡昇平の『レイテ戦記』によれば、レイテ島に派遣された日兵は8万4006人います。しかし、生還できた人間はわずか2500名。 この時点で

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