東日本大震災の翌週、私は岩手県釜石市に住む友人に届けようと、岐阜から食料を持って車を走らせたものの、「これは受け取れない。被害が甚大な沿岸部の人たちに届けてほしい」と断られた。その後避難所を転々とするが、どこも多くの物資があり、渡せないまま夜を迎えてしまった。 石巻市内にいた私は、車内で仮眠をとり、朝を迎えた。翌日は仕事があるため、今日中に岐阜に戻らなければならない。物資を渡せなければ、友人の気持ちも無駄にしてしまう。私はこれまでに現地で聞いた話を踏まえ、報道で目にする大きな街を避け、小さな港町を訪れることにした。石巻市街を離れ、牡鹿半島の先端に向かった。(全2回の2回目/前編から続く)