編集長がデータが「綺麗すぎる」と感じた原稿41本において生データの提出を著者に依頼。21本で投稿が取り下げられ、うち19本でデータの一部(例. 各条件N=1ずつの代表データのみ)しか提出されなかった or 生データと結果が不一致だ… https://t.co/Vm28UUrAck
本人の同意なしに子どもを生んではならない!? 先日、「自分を本人の同意なしに生んだ」ことを不服として両親を訴えた人物のインタビューが、ウェブマガジンGigazineで紹介され(インド発のウェブマガジンLatestLYに掲載された元記事はこちら)、一部で話題になった。 訴えの主であるラファエル・サミュエル氏はインドのムンバイに住む27歳の男性。上掲の記事やYouTubeにアップロードされたサミュエル氏自身による説明によると、今回の行動はだいたい次のような理由から出たもののようだ。 ――人は生まれることに同意したわけではないのだから、自分をつくった両親に対して恩返しをする義務などない。そもそも親は自分の快楽のために子どもをつくるのであって、当人のためにつくるわけではない。もちろん、親のために心から何かをしてあげたいと思う人はそうすればいいが、そうする義務を負っているわけではない。子どもは親の所
だからベネターの思想そのものは別に目新しくはない。だが、それを論証するプロセスは興味深いものだ。「快楽は良く、苦痛は悪い」という常識的な前提から出発しながら、分析哲学と呼ばれるスタイルを用いて緻密に論証を積み上げ、最終的に「生まれることは生まれないよりも悪い」という結論に読者を追い込もうとするのである。 残念ながら、ここではその入り組んだ議論をこれ以上追いかけることはできない。ベネターの主著(『生まれてこない方が良かった――存在してしまうことの害悪』)が邦訳されているので、興味が沸いた方は挑戦していただきたい。 ベネターのようなガチの反出生主義と比べると、サミュエル氏の主張はやや風合いが異なる。人生そのものの価値を否定するという厭世主義的な面があまり目立たないからだ。とはいえ、人は生んだり生まれたりするべきではないという結論は同じだし、当人の同意なしに子どもを生むのは親の身勝手だという主張
このように原告の主張を深く理解しながらも、しかし裁判所は、原告の訴えは裁判になじまないものだと結論づけた。 その理由はこうだ。「生そのものという損害」という考えを認めてしまえば、非嫡出子だけでなく、人種、遺伝病、貧困、差別などのせいで不遇な生を与えられた人たち全員が自分を生んだ親に損害賠償を求められることになってしまわないか? さらに将来、人工授精、精子銀行、遺伝子改変、そしてついには人間の生命そのものを人工的につくりだすことが可能になったとき、そのような方法で生まれたことを不満に思う子どもたちは、自分をつくりだした医療関係者や技術者を訴えることができるのだろうか? このように、想像をはるかに超えた影響を社会に与えかねない判断を下すことは、一裁判所の任ではなく、国家の政策に委ねられるべきである。――これがゼペダ訴訟を退けた裁判官たちの結論だったのである。 医療関係者を訴えるケースが増加 そ
実際には、ロングフル・ライフ訴訟はどの国でもほとんど認められていない。だが、2000年にフランスの最高裁が実質的に「生そのものという損害」を認めた通称「ペリュシュ事件」はフランス社会を揺るがす大きな社会問題となり、日本の大新聞でも報道されたし、アメリカの一部の州や、オランダ、イスラエルなどでは、部分的にではあれロングフル・ライフの訴えが認められている。 日本でも数年前に、おそらく国内では初めて、ロングフル・ライフ訴訟と呼ぶべき内容をもつ訴訟が起こされた。このときは訴えは退けられたが、今後また同様のケースに直面したとき、私たちはどのように対応していくべきだろうか。 生まれて存在することをめぐる謎 以上のように、ロングフル・ライフ訴訟には重い倫理的問題が含まれている。だ がそれだけではない。そこには、より普遍的な哲学的考察へと私たちを誘わずに はおかない面がある。 私たちは、生きていることが苦
こちらはこのブログの記事を翻訳したものです。 ※ブログ主より注意※ ここに記述される問題は、既にビーガニズムを理解し、実践している人々に対して提起されたものであり、まだビーガンでない人々がビーガニズムを批判することを擁護することを目的にしたものではありません。 ビーガンが野生動物の苦しみに配慮すべき理由。 Brian Tomasik · Sunday 12th of April 2015 しばしば、動物の権利と環境保護主義は密接に関連しているものと考えられています。しかし、自然界における動物の苦しみの問題に関する時、両者の哲学の間には大きな亀裂が生じることになります。一般的に、環境保護主義者は自然には干渉しないことを望みますが、動物擁護の支持者は、野生動物が耐え忍んでいるような苦痛を減らす方法があるかどうか、探求することを支持するでしょう。最も小型で非常に多くの個体数がいる野生動物の間では
オックスフォードのPractical Ethicsブログに、2015年の2月に倫理学者のカティア・ファリア(Catia Faria)が公開した記事を訳して紹介。 blog.practicalethics.ox.ac.uk 「あなたが平等主義者なら、どうしてあなたは種差別主義者なのか?」 by カティア・ファリア 慈善団体オックスファムの最近の報告によると、2016年には世界の中でも1%の最富裕層が残りの99%の人々よりも多くの財産を所有することになる見込みだ。多くの人にとって、個人間の不平等がいま存在していることやその不平等が悪化し続けることは深刻な懸念を抱かさせられる事態である。その理由は、平等は重要な問題であると私たちの多くが信じているからだ。つまり、ある物事の状態がどれだけ望ましいかということは価値がどれほど最大化するかということだけに依るのではなく、その価値がどれだけ平等に分配され
www.samharris.org 今回紹介するのは、心理学者哲学者・神経科学者のサム・ハリス(Sam Harris)が自著『Moral Landscape: How Science Can Determine Human Values(道徳の風景:科学はいかにして人間の価値を決定することができるか)』で行っている議論をハリス自身が紹介している記事。 サム・ハリスはリチャード・ドーキンスやクリストファー・ヒッチェンズなどと並んで、英米の新無神論(New Atheism)ムーブメントを牽引する人物であり、2004年に出版された著書『信仰の終焉:宗教、テロ、理性の未来(The End Of Faith: Religion, Terror, and the Future of Reason)』はかなり話題になったようだ。現在でも痛烈にキリスト教やイスラム教を批判し続けており、最近ではテレビ番組に
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