◇遺族や近隣首長ら参列 ◇死没者名簿奉納、竹原市長が平和宣言も 「第26回大久野島毒ガス障害死没者慰霊式」が27日、竹原市沖の大久野島で開かれた。戦時中、毒ガス製造に従事した人や遺族、近隣市町の首長らが約180人が参列、「戦争や化学兵器のない平和な地球を」と願った。【寺岡俊】 大久野島には1929(昭和4)年に毒ガス製造工場が完成し、終戦まで毒ガス兵器を製造。毒ガスは中国戦線で使われた。旧日本軍は機密のため島を地図から消した。最盛期には軍属や動員学徒ら約6000人が従事。大勢が呼吸困難や慢性的な気管支炎などに苦しんだ。 式では昨年9月~今年8月に亡くなった85人を含む3431人の死没者名簿を奉納。小坂政司・竹原市長が「核兵器と生物化学兵器の廃絶を強く世界に訴え、人類滅亡に導く戦争が、根絶されることを念願する」と平和宣言を読み上げた。 参列した寺谷利己さん(83)=同市忠海東町3=の夫正弘さ