【リマAFP=時事】南米ペルー当局は18日、同国で近年、アジア各国に向けたフカヒレ輸出が拡大しており、サメ漁の餌に使うためイルカが大量に捕殺されていることを明らかにした。環境保護団体によると、殺されているイルカは年間1万5000頭に上る。 フカヒレの輸出量はここ数年で1割ほど増加した。サメの餌にはサバやイカも使われるが、イルカの肉が発するにおいの方がサメを引きつけやすいとされ、漁師に愛用されている。 漁業当局者は、イルカの犠牲を減らすためにはフカヒレ輸出を制限する必要があるが、違法操業が後を絶たないと指摘している。 政府は違法なサメ漁の取り締まりを強化する行動計画の策定に着手。究極の手段としては、イルカ漁、サメ漁をともに禁止することも辞さない構えだ。
屋久島「観光」か「保護」か 世界自然遺産登録20年 入島制限踏み切れず 2013年10月21日(最終更新 2013年10月21日 00時10分) 縄文杉への登山道には歩きやすさと草木保護を狙い、木製遊歩道が整備されている 世界自然遺産に登録されて今年で20年を迎えた鹿児島県・屋久島。標高1300メートルにある「縄文杉」を訪ねて、往復22キロを歩いた。樹齢千年以上の屋久杉が生い茂り、太古の息吹を体感できる島で最も人気の登山ルート。しかし、そこで見たのは「手つかずの森」ではなく、人間と自然の共生に苦しむ世界遺産の姿だった。 9月下旬。標高600メートルの荒川登山口から11キロの道のりを6時間歩き、縄文杉に着いた。樹齢2170年以上。高さ25メートル、幹回り16メートルの日本で最も太い杉。うねる幹に神秘を感じる。ただ、世界遺産区域にも無数の切り株があり、かつて屋久杉が大量伐採された開発の歴史も実
長野県の南部、飯田のあたりは、高山の多い信州の中でも特に山深いところである。平地といえるような土地はほとんどなく、ろくな道すらないのだけれど、そんなところにも古くから人は住んでいるもので、天竜川に沿ってぽつぽつと小さな集落がいくつか点在している。 そうした集落をひとつひとつ数珠繋ぎするようにして、豊橋と辰野を結ぶ飯田線が全通したのが昭和12年。なにせ平らな土地のほとんどない深い山地のこと、さぞかし難工事だっただろうことは想像に難くない。さてその飯田線に、中井侍(なかいさむらい)という、ちょっと変わった名前の無人駅がある。長野、静岡、愛知の三県の県境あたりに位置する駅である。 と、なんだか紀行文のように始まったのだけれど、別に私はこの中井侍に行ったことがあるわけではない。飯田線にも乗ったことはない。ただ、ある精神医学誌の論文にこの地域のことが載っていたので、ちょっと興味を惹かれただけである。
長男以外の人間は、結婚もできず、世間との交流すら許されず、死ぬまで家のために奴隷のごとく働かされる......。いったい、いつの時代の、どこの国の話だと思われるかもしれない。しかしこれは、日本に20世紀まで実在した「おじろく・おばさ」という風習なのである。 国土の7割が山である日本。山林によって隔絶された村では、独自の文化が発生する場合が多い。昔の長野県神原村(現・下伊那郡天龍村神原)もその一つだ。 耕地面積が少ないこの村では、家長となる長男より下の子供を養う余裕がない。そのため、家に残った下の子供は「おじろく(男)・おばさ(女)」と呼ばれ、長男のために死ぬまで無償で働かされた。 家庭内での地位は家主の妻子よりも下で、自分の甥っ子や姪っ子からも下男として扱われる。戸籍には「厄介」とだけ記され、他家に嫁ぐか婿養子に出ない限り結婚も禁じられた。村祭りにも参加できず、他の村人と交際することも無か
武田信玄の書状の新発見です! 読売新聞がスクープしております。 長野県の旧家に伝わっていたものを、山梨県の武田氏研究の第一人者の平山優さんが鑑定しました。 そもそも信玄の直筆書状は数点しか見つかっておらず、今回の弟信繁(左馬助)宛てのものは初めてとのこと。 気になる内容は、報道をもとにしますと、天文二十三年(1554年)に、信州へ進撃していた信玄(当時は武田晴信)が、信州・小諸城の攻略に向けて、弟の信繁に対して、親族や家来に戦闘準備をさせるように指示するものとのことです。 ネットにはありませんが、新聞では書状の現代語訳や識者(丸島和洋・国文学研究資料館特任助教)のコメントも載っていました。 丸島和洋特任助教のコメント 「武田家は内紛が多く、信玄が頼れる親族は少なかった。書状は信玄が信繁に信頼を寄せ、軍事上重要な役割を任せていたことを示す一級史料だ」 読売新聞での現代語訳 「様子によっては明
【白石昌幸】堺市は17日、同市堺区の百舌鳥(もず)古墳群にある前方後円墳の長山古墳で、新たに後円部の基底石と、前方部と後円部のくびれ部分を確認したと発表した。今回の調査(9~10月)では、古墳の海側にあたる部分が丁寧に造られていることも判明した。付近からは円筒などの埴輪(はにわ)片も見つかっている…
カンボジアのアンコールワット、インドネシアのボロブドゥールとともに、世界三大仏教遺跡の一つとされる、バガンの仏教遺跡。40kmものエリアに無数のパゴダや寺院が点在する地域だ。 バガン遺跡には1000年以上の歴史を持つパゴダが、100以上も存在する。ミャンマー国内で、数ある仏教建築物の中でも特に重要なものとして信者から重んじられている。さらに、その景観の美しさから、建築物愛好家など、世界中から多くの旅行者が訪れる場所だ。 戦争や略奪、地震などといった多くの外敵に打ち勝つようにして、生き延び、今なおこうして、多くの人々から崇められている。 (写真はイメージです) しかし、今、この歴史的遺産は、新たな問題に直面している。ここ20年、軍事革命政権のずさんな管理によって修復された数百のパゴダがその対象だ。 多くの作業は、急ピッチで進められ、モルタルやレンガなどの現代的な素材が多く使われた。修復後のパ
戦国大名の武田信玄(晴信)が、腹心だった弟・信繁(左馬助(さまのすけ))に宛てて書いた直筆の書状が、長野県の旧家で見つかった。 信玄の直筆書状は、全国でも数点しか確認されておらず、信繁宛てのものは初めて。 書状は、縦24・2センチ、横31・2センチの大きさで、末尾には「八月十日」の日付とともに、「晴信」の署名と花押が記されている。 鑑定した武田氏研究会の平山優副会長によると、書状は「天文23年」(1554年)に書かれたものとみられ、信州の小諸城(長野県小諸市)の攻略を狙っていた信玄が、信繁に対し、親族や家来を束ねて戦闘準備を整えるよう指示した内容。 長野県の旧家に掛け軸として残されていたが、墨の濃淡やくせ字の書き方などが信玄の筆跡と完全に一致し、本物と確認された。
重要文化財指定記念特別展 対馬藩と朝鮮通信使 10万石格の大名として江戸時代を生き抜いた対馬藩宗家。昨年、長崎県立対馬歴史民俗資料館所蔵の宗家文庫資料が国の重要文化財に指定されたことを記念し、国内に伝来する対馬藩宗家関係資料の逸品をご紹介します。同資料館や韓国・釜山博物館の所蔵品など国内外に残る12万点に及ぶ宗家文書からうかがえる対馬藩宗家の輝きをぜひご覧ください。 10月26日開幕 【会期】10月26日(土)~12月15日(日) 【会場】長崎歴史文化博物館3階企画展示室 【開館時間】午前8時半~午後7時(入館は午後6時半まで) 【休館日】11月19日(火) 【前売り券】▽一般=700円(当日900円)、高校生以下無料 【券売所】浜屋プレイガイド、S東美、紀伊國屋書店長崎店(ゆめタウン夢彩都内)、チケットぴあ各店(みらい長崎ココウォーク、セブン-イレブン各店ほか/Pコード7
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