城野遺跡の現地保存を断念 北九州市、国との交渉不調 [福岡県] 2014年06月12日(最終更新 2014年06月12日 00時22分) 弥生時代末期の九州最大級の方形周溝墓などが見つかった城野遺跡(小倉南区)について、北九州市は11日、現地保存を断念したことを明らかにした。土地を所有する国との交渉がまとまらなかったという。 城野遺跡では2009年の発掘調査で方形周溝墓が見つかり、2基の石棺が出土。市は「国が土地所有、市が遺構の保存・活用」する形での現地保存を国に打診したが、国が土地売却の姿勢を変えなかったという。石棺などの遺物は、既に市立埋蔵文化財センターに運び出されているという。=2014/06/12付 西日本新聞朝刊=
古墳に階段状の葺石 宮崎市の生目1号墳 [宮崎県] 2014年01月10日(最終更新 2014年01月10日 00時04分) 階段状に積み上げられた生目1号墳の葺石(宮崎市教委提供)写真を見る 宮崎市教育委員会は9日、国指定史跡生目(いきめ)古墳群の前方後円墳「生目1号墳」で、表面を覆う葺石(ふきいし)が階段状になった、全国でも珍しい形状で見つかったと発表した。市教委によると、少なくとも南九州では初めてという。 1号墳は古墳時代前期のものと考えられ、長さ約120メートル、高さ約12メートルで同古墳群では最大規模。100メートル級の前方後円墳として南九州で最古とされる。「階段状の葺石」は約20度の斜面に沿って約1メートル積み上がるごとに奥行き20センチほどの平らな部分があり、計16段が確認できた。通例は滑らかな石積み斜面だという。 市教委は「畿内から前方後円墳が伝来する中で詳しい工法まで伝わ
元寇遺跡に「火打ち金」 九博の科学調査で判明、長崎・鷹島海底 [長崎県] 2014年01月03日(最終更新 2014年01月03日 03時00分) 12年前に発掘された火打ち金写真を見るエックス線CTスキャナーで透過撮影した火打ち金(九州国立博物館提供)写真を見る 長崎県松浦市沖の鷹島海底遺跡の発掘遺物の中に、13世紀後半の元寇(げんこう)の際、元軍が炸裂(さくれつ)弾「てつはう」の着火に使ったとみられる「火打ち金(がね)」が含まれていたことが分かった。4千点以上ある元寇遺物の中で、着火の道具が発見されるのは初めて。中国や朝鮮半島では出土例がなく、モンゴルでも珍しい発見という。史書や絵画でしか分からない元寇の様子を知る手掛かりとなりそうだ。 火打ち金は、火打ち石と打ち合わせて発火し、乾燥した草などに火を付けて使う。同市教育委員会によると、2002年、てつはうや兜(かぶと)などと一緒に引き揚
弥生中期の「甕棺墓」出土 熊本市・新南部遺跡群 完全な形、全国でも珍しく [熊本県] 2013年12月11日(最終更新 2013年12月11日 00時19分) 熊本市東区で出土した甕棺墓。穴の底の右側に地中に埋まった甕棺の一部が確認できる 熊本県教育委員会は10日、白川の拡幅工事に伴い発掘調査している熊本市東区の新南部遺跡群から、弥生時代中期の墓「甕棺墓(かめかんぼ)」が見つかったことを明らかにした。墓の上部には、目印とみられる石、穴の中には土器製の棺おけ「甕棺」があり、墓全体がほぼ完全な形で出土した。県教委によると、墓の上部から下部まで全体的な構造が分かる出土は、全国でも珍しいという。 甕棺墓は、遺体を安置した甕棺を土中に埋める弥生時代を代表する墓の形式。出土した7基の墓のうち、2基には墓の目印である「標石」とみられる人の頭ほどの大きさ石が、それぞれ20~30個あり、ほぼ完全な形の墓だっ
対馬藩 政治拠点の金石城跡 「御台所門」を確認 [長崎県] 2013年12月10日(最終更新 2013年12月10日 00時28分) 金石城跡から発掘された「御台所門」跡 対馬市教委は、江戸時代に対馬藩の政治の拠点だった金石城跡(厳原町)で、埋蔵文化財を確認するための発掘調査を行い、当時の家臣や家来らが出入りしていた通用門とみられる「御台所(おだいどころ)門」跡を確認した。 発掘調査は、敷地の一部が博物館建設予定地に含まれることから実施。宗家文庫資料の「金石城絵図」に描かれた御台所門とその周辺施設(約100平方メートル)を対象に行った。 御台所門跡は地下約2・5メートルで見つかった。門は高さは約2メートル、幅は約7メートルとみられるという。市教委文化財課の尾上博一副参事は「絵図から御台所門などが地下に存在することは予測していた。今回の調査で絵図の正確性が証明された」と話した。遺構からは、間
福岡城跡整備67億円 2028年度まで、市が概算 [福岡県] 2013年11月27日(最終更新 2013年11月27日 01時17分) 福岡城跡の将来的な整備イメージ。右が大濠公園側(福岡市提供) 福岡市は26日、国指定史跡「福岡城跡」(中央区、約48ヘクタール)の整備基本計画検討委員会を開き、来年度以降の具体的な整備事業計画の修正案を示した。計画期間は15年間で、発掘調査や植栽、園内の歩道などの環境整備などを含めた総事業費は概算で67億円余りを見込む。期間を短期(2014年度~18年度)と中期(19年度~28年度)に分け、武器を収納した武具櫓(やぐら)など7件を復元する。 修正案では、18年度までに、海からの防御を担った「潮見櫓」を復元。幅約60メートル、高さ12~13メートルと大型で、城跡の象徴となる「武具櫓」も復元に着手する。 28年度までに復元するのは、他に太鼓櫓▽祈念櫓▽本丸裏御
屋久島「観光」か「保護」か 世界自然遺産登録20年 入島制限踏み切れず 2013年10月21日(最終更新 2013年10月21日 00時10分) 縄文杉への登山道には歩きやすさと草木保護を狙い、木製遊歩道が整備されている 世界自然遺産に登録されて今年で20年を迎えた鹿児島県・屋久島。標高1300メートルにある「縄文杉」を訪ねて、往復22キロを歩いた。樹齢千年以上の屋久杉が生い茂り、太古の息吹を体感できる島で最も人気の登山ルート。しかし、そこで見たのは「手つかずの森」ではなく、人間と自然の共生に苦しむ世界遺産の姿だった。 9月下旬。標高600メートルの荒川登山口から11キロの道のりを6時間歩き、縄文杉に着いた。樹齢2170年以上。高さ25メートル、幹回り16メートルの日本で最も太い杉。うねる幹に神秘を感じる。ただ、世界遺産区域にも無数の切り株があり、かつて屋久杉が大量伐採された開発の歴史も実
九州国立博物館(福岡県太宰府市、九博)と神戸市立博物館は17日、49年前に神戸市で出土した国宝・桜ケ丘12号銅鐸(どうたく)の文様が新たに判明したと発表した。四つの渦巻きを線でつないだ「四頭渦文(しとうかもん)」という文様で、九博の3次元計測器で解析した。 桜ケ丘銅鐸(紀元前2~同1世紀)は1964年、神戸市灘区で出土した大小14個。他に武器型青銅器の銅戈(どうか)7本も見つかった。所蔵する神戸市博によると、大型のものでは水の流れを表す「流水文」、鹿やトンボなどの絵が確認されたが、3番目に小さく、表面が摩耗した12号銅鐸(高さ31センチ)の文様はこれまで判別できなかった。 桜ケ丘銅鐸・銅戈を九博で特別公開するのに合わせ、二つのカメラで立体的に撮影する3次元計測を行った。両面に四頭渦文を一カ所ずつ確認した。一方が縦6センチ、横4・5センチ。もう一方が縦4・2センチ、横3・8センチ。四頭渦文は
考古学界最長老、斎藤忠さん死去 104歳、登呂遺跡発掘も 2013年07月24日(最終更新 2013年07月24日 17時03分) 死去した斎藤忠さん 戦前から多くの遺跡発掘に携わった考古学界の最長老で大正大名誉教授の斎藤忠(さいとう・ただし)さんが21日、死去した。104歳。仙台市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。後日、しのぶ会を開く予定。 東京帝大卒業後、文化財保護委員会(現文化庁)主任調査官などを経て、東大教授、大正大教授などを歴任。古墳研究の第一人者で、朝鮮半島の遺跡研究でも知られた。辛亥銘鉄剣(国宝)が出土した埼玉・稲荷山古墳の発掘調査を指導した。他にも静岡・登呂遺跡などの発掘にも関わった。
福岡城の石垣「耐震構造」だった 全国初、「石列」40カ所発見 2013年6月19日 00:16 カテゴリー:社会 文化 九州 > 福岡 福岡城上之橋御門石垣修復工事現場で国内で初めて確認された石列=18日午後、福岡市中央区 福岡市は18日、石垣の修復工事を行っている国史跡「福岡城跡」(同市中央区)で、石垣を内部から支える「裏込(うらご)め石」の層から、石垣をさらに補強し、地震などの衝撃を低減するための「石列(せきれつ)」を約40カ所発見したと発表した。近世に築かれた城郭で、石垣から石列が確認されたのは全国で初めて。市は「石垣の耐震技術や堅固な構造が分かる貴重な発見。福岡城を築いた黒田家独自の技術か、全国の城郭に共通する工法なのか、今後の調査で解明したい」としている。 石列が確認されたのは城の表玄関だったとされる「上之橋(かみのはし)御門」。昨年7月に始めた門北側の石垣(高さ9・4メート
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