1988年中央公園周辺。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成 原爆スラム(げんばくスラム)は、広島市中区基町の本川沿いに広がっていたスラム(不法バラック群)の通称である。後述する再開発事業により、現在では消滅している。 相生橋の北に位置することから別名「相生通り」と称されていたが、現在の相生通りとは関係ない。 戦前[編集] 江戸時代には、広島城の本丸に隣接したこの地域には武家屋敷が広がっていた。明治になり陸軍第5師団が置かれると、この一帯には師団司令部や西練兵場、砲兵隊、歩兵11連隊、陸軍病院などの施設が設けられ、軍都広島の中核となっていった。しかし1945年(昭和20年)8月6日の原子爆弾の投下により、爆心地に近いこの地域は灰燼に帰した。 戦後[編集] 戦後、この一帯は中央公園として整備が決定し、公園用地に応急住宅を建設するなどした。しかしこの西側の本川
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