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日清戦争─「国民」の誕生 - 池田信夫 blog
きのうNHKで「プロジェクトJAPAN」というシリーズの「プロローグ」を放送していた。スペシャルドラマ「... きのうNHKで「プロジェクトJAPAN」というシリーズの「プロローグ」を放送していた。スペシャルドラマ「坂の上の雲」を中心として、日本の近代史を追う3年もの長大なシリーズだ。プロローグだけで2時間半もあるが、資料フィルムで教科書的な話をなぞるだけで退屈なので、途中で消した。 今どき、司馬遼太郎で近代史を語るセンスはいかがなものか。日清・日露戦争までは日本がアジアを指導した栄光の歴史だが、1930年代以降は軍が暴走した、という彼の歴史観では、日本の近代を統一的にとらえることはできない。軍だけを悪者に仕立てるご都合主義は、いまだに大江健三郎氏のような幼稚な歴史観として根強く残っている。 こうした歴史観を「自虐史観」として批判し、近代を「国民の物語」として描こうとしたのが「新しい歴史教科書をつくる会」の人々だったが、彼らは逆に司馬史観の栄光の歴史の延長上で昭和の戦争を描いただけだ。よくも悪く
2009/04/07 リンク