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チベットNOW@ルンタ:ウーセル・ブログ「書き換えられるレティン・リンポチェとシデ・タツァン」
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チベットNOW@ルンタ:ウーセル・ブログ「書き換えられるレティン・リンポチェとシデ・タツァン」
ラサのチベット人街の中に今もそのままにされている目立つ廃墟が1つある。中国侵略による破壊の象徴の... ラサのチベット人街の中に今もそのままにされている目立つ廃墟が1つある。中国侵略による破壊の象徴のような廃墟を、なぜ当局はそのまま放置しているのか、私には不思議でならなかった。以下のウーセルさんのコラムを読み、やっと当局の意図が分かったような気がした。それにしても、すでにこの廃墟は長年放置され、多くの観光客が目にしており、普通の人は文革時代の破壊の象徴として解釈し済みな気がするが。 この廃墟はシデ・タツァンと呼ばれ、13世ダライ・ラマが崩御されたのち摂政として選ばれ、現在の14世ダライ・ラマの選出にも関わったとされる、5世レティン・リンポチェのラサでの修行場であった。5世レティン・リンポチェは1934年に3人の候補の中からくじ引きにより摂政(シキョン)に選ばれた。しかし、その後貴族内の争いに巻き込まれ、彼は逮捕され、代わりにタクタ・リンポチェが摂政となり、レティン・リンポチェは1947年に獄