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彼らが拝んでいたのは「マリア」でも「キリスト」でもなかった…“カクレキリシタン”が200年以上守り抜いた“信仰の正体” | 文春オンライン
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彼らが拝んでいたのは「マリア」でも「キリスト」でもなかった…“カクレキリシタン”が200年以上守り抜いた“信仰の正体” | 文春オンライン
禁教令が解かれた後も、長崎のカクレキリシタンたちの多くはカトリック教会に復帰しなかった。なぜ彼ら... 禁教令が解かれた後も、長崎のカクレキリシタンたちの多くはカトリック教会に復帰しなかった。なぜ彼らは「教会に戻らなかった」のか? その答えはきわめて単純だというのが、宗教学者の宮崎賢太郎氏だ。一体どのような理由があるのか。同氏の著書『潜伏キリシタン 知られざる信仰世界』(角川新書)の一部を抜粋し、現代におけるカクレキリシタンの信仰に迫る。 ◆◆◆ 何を拝んでいるのか まわりくどい表現ではあるが、誤解を避けるために、正確にいうならば、カクレキリシタンたちはキリストやマリアを拝んではいるのだが、それがだれなのかまったくわからないままに拝んでいるのであるから、本当にキリストやマリアを拝んでいることにはならない。それではいったい、どのようなものを拝んでいるのであろうか。 キリスト教における神とは、教義的には、「父と子と聖霊」の三位一体の、唯一絶対なる存在である。一方、マリアは普通の人間であり、崇敬の

