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日産の巨大権力に挑んだ"七人の侍"の覚悟 週刊誌と"女性スキャンダル"を暴く
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日産の巨大権力に挑んだ"七人の侍"の覚悟 週刊誌と"女性スキャンダル"を暴く
国際的ステータスも欲した強欲さ 日産の経営を蹂躙(じゅうりん)する自動車労連会長・塩路一郎との対決... 国際的ステータスも欲した強欲さ 日産の経営を蹂躙(じゅうりん)する自動車労連会長・塩路一郎との対決姿勢を鮮明にした石原俊社長に対し、労組側が経営妨害をいっそう過激化させたのは、1981年に入ってからだった。きっかけは、その年の初め、石原社長が英国に工場を建設する計画を表明したことにあった。 日産は国内シェアではトヨタに差をつけられていた。石原社長は、トヨタが消極的だった海外進出で活路を見いだそうと、グローバル戦略で先行する戦略を立てていた。英国進出計画もその一環であり、英国の製造業復活を期していた当時のサッチャー政権も歓迎の意向を示していた。 「この計画は経営権に属する」として、石原社長は労組との事前協議を行わずに推進した。これに労組側は猛反発する。ところが、その裏で塩路一郎は会社側に「自分に英国での立地選定権を与えろ。そうしたら英国進出に賛成する。欧州の労組にも話をつけてやる」と取引を持

