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六本木のようで川崎のようでもある…なぜハロウィンの梨泰院に10万人の若者が集まったのか なぜ梨泰院の通りはあんなにも細いのか
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六本木のようで川崎のようでもある…なぜハロウィンの梨泰院に10万人の若者が集まったのか なぜ梨泰院の通りはあんなにも細いのか
もともと「異端」が住まう街だった梨泰院 10月29日夜、韓国の梨泰院で、150人以上が雑踏事故の犠牲とな... もともと「異端」が住まう街だった梨泰院 10月29日夜、韓国の梨泰院で、150人以上が雑踏事故の犠牲となった。 梨泰院を東京の街にたとえるなら、六本木や裏原宿の消費文化に、蒲田や川崎の雑然さを付加したような場所である。 梨泰院は李氏朝鮮時代から「異他人」の街、時には「異胎(混血児)院」とも呼ばれた。文禄・慶長の役、そして清との戦争で、敵軍との間に生まれた子供や異民族が定住したのが、街の起こりだとされる。 厳格な家父長制とは一線を画するエリアに 国際色豊かな街となったのは、1953年、近隣の龍山(ヨンサン)に、植民地時代の日本軍の兵営施設を継承した駐韓米軍の基地ができたことが大きい。 朝鮮戦争では北朝鮮からの避難民を含む全国各地からの移住者が溢れ、周囲には無許可のプレハブ村が建った。 戦争終結後、本格的に基地村として機能するようになると、龍山周辺で米軍を相手にしていた私娼が集い一大売春街を形

