エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
武田信玄でも真田幸村でも島津義弘でもない…歴史評論家が「戦国最強」と考える九州生まれの武将の名前 関ヶ原で家康と敵対したのに、ただ一人旧領に復帰した
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
武田信玄でも真田幸村でも島津義弘でもない…歴史評論家が「戦国最強」と考える九州生まれの武将の名前 関ヶ原で家康と敵対したのに、ただ一人旧領に復帰した
戦国時代で最強の武将はだれか。歴史評論家の香原斗志さんは「九州の武将、立花宗茂だろう。彼の数奇な... 戦国時代で最強の武将はだれか。歴史評論家の香原斗志さんは「九州の武将、立花宗茂だろう。彼の数奇な人生をみれば、武功に優れているだけでなく、知略、教養のレベルも非常に高かったことがわかる」という――。 「戦国最強武将」の意外なキャリア 戦国最強の武将はだれだったのか。人生のある時期にかぎらず、生涯にわたり最強と呼ぶべき力を発揮し続け、さらには子々孫々まで繫栄させることができたのは、立花宗茂むねしげを措いてほかにいない。 しかも、あの関ケ原合戦で西軍に与し、いちどは改易されながら、である。だが、知名度では必ずしも全国区の武将とはいえないので、生い立ちからざっと紹介していきたい。 生年には2説あるが、有力なのは永禄10年(1567)説で、大友義鎮よししげ(宗麟)の重臣だった吉弘鎮理(のちの高橋紹運じょううん)の嫡男として、豊後国(大分県)の筧城(豊後高田市)に生まれたとされる。幼名は千熊丸で、反

