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放射能問題における不毛な分断を越えるために――新しい市民社会はどうすれば作り出せるのか(3)
放射能問題における 不毛な分断を越えるために ――新しい市民社会はどうすれば作り出せるのか(3) 毛利... 放射能問題における 不毛な分断を越えるために ――新しい市民社会はどうすれば作り出せるのか(3) 毛利嘉孝(東京芸大准教授)×五十嵐泰正(筑波大准教授) 健康被害と反原発運動 五十嵐 専門家集団が機能しうるのか、受け入れられるのかどうかは、たとえば原発推進派か反原発派なのかが決定的な切れ目になってしまうんでしょうか? 放射線のリスクそのものは、推進派であろうと反対派であろうと独立した事象として評価すべきものであり、純粋に科学の話だと思うのですが、どうやったらそこを切り離して議論の出発点を作れるか、ずっと考えあぐねているんです。 切り離すべき側面は少なくとも4つほどあると思います。一つは健康被害などに関する科学的なリスク判断です。それから一次産業を含めた復興。そしてこの事故により起こったさまざまな被害の責任と補償の問題。最後にこれからのエネルギー政策。これらはすべて位相が違う問題だと思います
2016/03/04 リンク