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恥から見た自己愛パーソナリティ障害(9)
怒りが最初からポンと生じる場合がある。それはそれでいいだろう。ただ私たちが社会的な存在としてこの... 怒りが最初からポンと生じる場合がある。それはそれでいいだろう。ただ私たちが社会的な存在としてこの世で生きている時に生じる怒りは、大概「対人化 interpersonalize」している。怒りは二次的に生じるのだ。そのことを説明するのが、この怒りの二重構造説である。ただ順番としては、一次的、プライマリーな怒りの説明から始めたい。 そこでこの「一時的な感情」としての怒りの由来を考えてみる。それは自己保存本能と同根である以上、進化の過程のいずれかの時点で生物に与えられたそれが、そのまま継承されたはずである。ちなみに精神分析では怒りとはプライマリーなものであるという捉え方は半ば常識的である。フロイトもそうだし、メラニー・クラインもそうだ。オットー・カンバーグもそのような路線で論じた。他方ウィニコットやコフートはそれとはかなり違った方針を取った。私の怒りに関する議論はコフートに大きなヒントを得ている