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「ひきこもり」とは何か(3)-6年間引きこもった青木昆陽
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さて、ちょっと間が空いたが、このシリーズの終わりに、引きこもりの例を青木昆陽に見てみよう。 200... さて、ちょっと間が空いたが、このシリーズの終わりに、引きこもりの例を青木昆陽に見てみよう。 2001.4.25のNHK「その時歴史は動いた」で青木昆陽を見て以来ファンになったが、その時に書いたものを掲載したい。 私の好きな人物の一人に甘薯先生、青木昆陽がいます。 彼は、病の父を助けるため医学に志し、京にて三年学びますが父を救えません。相次いで母をも失ってしまいます。 そして彼は、父のために三年、母のために三年、計六年もの間喪に服します。お参りに行く以外は外に出ず、今風に言えば引きこもったのです。 おそらく彼は、打ちのめされたのだと思います。 文蔵という渾名も誇らしく、あれほど志した学問が現実の前には何も役に立たなかったのです。 しかし、彼はその文蔵と言う呼び名にかけて学問を世の役に立たせてみせる、とリベンジを誓ったに違いありません。 大飢饉が訪れた際、彼は餓死者を救う道はないかと文献を調べ