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タイムマシンと俳句 - [間歇日記]世界Aの始末書
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タイムマシンと俳句 - [間歇日記]世界Aの始末書
以前のエントリ「再帰的な出会い」(2006年4月13日)で、ウェブに文章を公開し続けていることで... 以前のエントリ「再帰的な出会い」(2006年4月13日)で、ウェブに文章を公開し続けていることで得られる、出会わざる出会いについての感慨を書いたが、最近また、おれのむかしの日記に目を留めた方が、面白い使いかたをしてくださった。 姫野恭子さんとおっしゃる俳人の方が、おれに俳句をメールしてくださった。はて? たしかにおれには、ある種の方面では廃人にかなり近いと思われる知り合いはいないでもないが、俳句方面にはまったく縁はない。まさか、おれの名句「生きたまま 脳に届いて 殖えて効く」が、ついにまともな俳壇に評価されたのだろうか? そんなことは、むこう五百年くらいありそうにない。 落ち着いてメールを読むと、姫野さんは俳句に「よぢおりる」という表現を使ったのだが、日本語として使えるものかどうか疑問を抱いたので「よじおりる」をウェブで検索してみたところ、おれの日記(1998年10月9日)がヒットしたとい