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ペリー艦隊と戦えば勝てたのに屈服した幕府
黒船がやってきたとき、その巨大な武力を前に幕府は屈服し、開国しか選択がなかったと信じている人がほ... 黒船がやってきたとき、その巨大な武力を前に幕府は屈服し、開国しか選択がなかったと信じている人がほとんどだ。しかし、数百人の武力でいくら装備が時代遅れとは言え人口三千万人の良く組織された国を植民地にできるはずがない。 当時のアメリカの海軍力はチリやアルゼンチン以下で、遠い日本増派など不可能だったし、海外での植民地を維持できる力も世論の支持もまったくなかったのである。 黒船が来たとき、佐賀藩主の鍋島直正は、神奈川での交渉を拒否して長崎にまわれと強硬に主張すべきだと主張した。それを振り切ってペリーが暴れても鎮圧できるだろうし、また、長崎でなら交渉しようというのに武力行使しても国際世論も米国内世論も味方するはずないから当然の主張だったのである。 しかし、幕府は翌年また来たら交渉すると約束し、実際にやってきたらほとんど何も準備してなかったから屈服して開国した。 では、どうして、こんなに簡単に屈服した