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認識と信頼の階層性(追記あり、追々記あり)|ほたるいかの書きつけ
(一番下に追記があります) (もういっちょ追記) まとまっていないのでメモということで。 ここのところの... (一番下に追記があります) (もういっちょ追記) まとまっていないのでメモということで。 ここのところのネット上及びリアルでの議論で漠然と考えていることです。漠然と考えていても始まらないので、少し文章化。相対主義、構成主義とも関係。 ニセ科学批判を批判する人々を見ていて思ったのは(彼らだけではなく、反科学的なことを言う人々もですが)、認識の相対性にも階層性があるということを見落としているのではないか、ということ。 ざっと考えて、少なくとも以下の階層は区別して論じられなければならない。 1. ある問題について調べている研究者集団の認識 2. その研究者集団をとりまく研究者たちの認識 3. その研究者を含む分野の認識 4. その研究を伝える人々の認識 5. その研究についての社会一般における認識 具体例で言うと、 1. 素粒子実験(超対称性粒子はあるか、とか) 2. 素粒子物理の中でその実験に
2008/11/30 リンク