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『スペインができるまで・3』
前回まででヒスパニアは、ローマ帝国の属州→ヴァンダル族の侵入→西ゴート族の侵入→西ゴート王国の成立→... 前回まででヒスパニアは、ローマ帝国の属州→ヴァンダル族の侵入→西ゴート族の侵入→西ゴート王国の成立→イスラムのウマイヤ朝に占領される→北部に逃げた西ゴート人が小王国をつくる、と流れてきた事を説明しました。 この西ゴート人が作った小王国は、イスラムとの戦争でヒスパニアを奪い返しつつ勢力を広げ、キリスト教同士の内輪もめで分離独立を繰り返しつつも、キリスト教徒の王国全体でみれば、領土を確実に広げていきます。 12世紀頃にはヒスパニアの北半分を3つのキリスト教王国が支配し、南半分をイスラム王朝が支配する状態になります。3つのキリスト教王国とは、外洋のポルトガル王国、陸戦のカスティリア王国、地中海のカルターニャ・アラゴン連合王国です。 そして、15世紀に入る頃にはイスラム王朝の領土は南端のグラナダとその周辺を支配するグラナダ王国のみになっていました。 1474年、カスティリア女王となったイザベル一世