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思想信条の自由・表現の自由は宗教戦争の産物として生まれた
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思想信条の自由・表現の自由は宗教戦争の産物として生まれた
18世紀の中欧、神聖ローマ帝国領土内と周辺国で30年戦争という長期間の戦争が発生する。 双方が戦争... 18世紀の中欧、神聖ローマ帝国領土内と周辺国で30年戦争という長期間の戦争が発生する。 双方が戦争によって疲弊したことによってその停戦合意として「思想信条の自由」が生まれた歴史的経緯がある。 なので当時のドイツ人の人権感覚が優れていたと言う話ではなく、単なる戦争の産物に過ぎない。 ウィーンのカトリック派と、ライン川流域のプロテスタント派が30年間の戦争の果てに国土は荒廃し、最終的に共倒れする。 その停戦合意として「帝国諸侯はカトリックとプロテスタント、どちらの宗派を選んでもいい」ことになり、これが思想信条の自由の理念となる。 帝国諸侯とは、神聖ローマ帝国内で自治権をもっていた主権国家であり、日本で言えば江戸時代の藩みたいなものをイメージしてほしい。 何が言いたいかと言うと、今はてな界隈で色々話題になっている表現の自由の議論を見ていると、その点を無視しているように見える。 18世紀の神聖ロー