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何もかも明解すぎる/小説が描きえるもの/大衆化社会において倫理はどうあるべきか - Feel in my bones
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何もかも明解すぎる/小説が描きえるもの/大衆化社会において倫理はどうあるべきか - Feel in my bones
昨日帰郷。朝のうちにいろいろなことを片付けてお昼の特急に乗る。車中ではスタンダール『赤と黒』上(... 昨日帰郷。朝のうちにいろいろなことを片付けてお昼の特急に乗る。車中ではスタンダール『赤と黒』上(岩波文庫、1958)を読みつづけた。 村上春樹訳のフィッツジェラルドの作品をいくつか読んでいるうちに、今まで小説を読もうとして読めなかった壁のようなもの(特に翻訳小説に感じる)を越えるコツのようなものがわかってきた感じがして、今まで読めなかったり途中になっていた小説に再度チャレンジしてみようと思うようになった。最初は途中になっているフローベールの『感情教育』の続きを読もうと思ったのだが、書棚を探しても見当たらず、目の前にあった『赤と黒』に引かれたというわけである。『赤と黒』も最初の情景描写が延々と続くところがどうにも乗り越えにくかったのだけど、ネットでお勧めのようなことを書いている文章を読んだときに読み始めたら止まらなくなる、というようなことを書いてあったので、きっと上手く壁を乗り越えれば面白い