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「威儀即仏法」の典拠について - つらつら日暮らし
近代以降(だと思うのだが)、曹洞宗の修行観を的確に示す語句として「威儀即仏法・作法是宗旨」が用い... 近代以降(だと思うのだが)、曹洞宗の修行観を的確に示す語句として「威儀即仏法・作法是宗旨」が用いられている。然るに、後者については『正法眼蔵』「洗浄」巻に見えるから、典拠は明かだが、前者については道元禅師の教えには見えない。無論、似たような語句や、意味として捉えることが出来る文脈はあるのだが、直接的にこの語句を用いた文章が無いということである。 それで、以前からその典拠が気になっていたのだが、とりあえず、遡っていかないと全く分からないので、一試論としてこの記事をアップする次第である。 儀式とは開山の所謂、威儀即仏法、作法是れ宗旨なるものを意味するのである。 原田祖岳老師『参禅の階梯』「第八章 威儀即仏法」、丙午出版社・大正4年(1915) このように、原田老師は明確に「威儀即仏法」の用語をお使いになられ、しかもそれを、「開山の所謂……」と、道元禅師の言葉であることを示しておられる。だとする
2019/10/21 リンク