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何事もおこらないのはなぜか――『日本語に生まれること、フランス語を生きること』をめぐって(1)|じんぶん堂
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何事もおこらないのはなぜか――『日本語に生まれること、フランス語を生きること』をめぐって(1)|じんぶん堂
記事:春秋社 水林章著『日本語に生まれること、フランス語を生きること――来たるべき市民の社会とその言... 記事:春秋社 水林章著『日本語に生まれること、フランス語を生きること――来たるべき市民の社会とその言語をめぐって』(春秋社) 書籍情報はこちら 『日本語に生まれること、フランス語を生きること』を書いていたわたしを終始突き動かしていたのは、この国のあまりにも醜悪な政治を前にしての絶望を含んだ怒りである。 2011年3月のフクシマと2012年12月の第二次安倍内閣成立を分水嶺に、自民党政治とその担い手たちの極端な劣化と腐敗(約言すれば、政治の私物化、立憲主義の危機)が深刻化し、やり場のない腹立たしい思いに苦しめられていたわたしは、どうしてこれほど酷いのかと問うと同時に、これほど酷いにもかかわらずどうして国民の側から実効的な抵抗が起こらないのかという問いと真剣に向き合うことになった。 この二つの問いとの対決の背後には、大学一年生のころからフランス語を勉強しはじめ、その後フランス文学研究の道に入り