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『教養主義のリハビリテーション (筑摩選書)』(大澤聡)の感想(22レビュー) - ブクログ
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『教養主義のリハビリテーション (筑摩選書)』(大澤聡)の感想(22レビュー) - ブクログ
感想。読書で得られるのは知識であるより考えの型であることが多いように思う。 知識は目的に応じてのみ... 感想。読書で得られるのは知識であるより考えの型であることが多いように思う。 知識は目的に応じてのみ引き出されるが、考えの型はどのようにも使われるからで、引き出されない知識は忘れ去られるので。 テキストにはなっていない自分自身の関わる問題にこの型を使うことにこそ意味があると思う。型は公平に使う人間自体を批判もするから。 教養主義もアウトプット前提である。インプットし、アウトプットする間にいろいろくっついてくるものがノイズではなく教養だ。 ノイズのないデジタルな情報を、いつでも持ち歩いていると思うことで教養主義は廃れた。 実は廃れたのではなく、そのように教養が剥奪された純粋な情報を「教養」として捉えていた大多数が、「本」を手放しただけで、ほんとうの教養主義者の絶対数はそれ程変わっていないのではないか。 たしかに、のっぺりした時代だ。ほぼ手続きがなくなり人間は動物化する。ただ、動物化した人間は、