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昭和五年のスラム街もらい子大量殺人事件「岩の坂事件」
明治から昭和初期にかけての東京の貧困層に関するルポルタージュをまとめた紀田順一郎著「東京の下層社... 明治から昭和初期にかけての東京の貧困層に関するルポルタージュをまとめた紀田順一郎著「東京の下層社会 (ちくま学芸文庫)」に、当時横行した「もらい子殺し」の代表的な事件「岩の坂事件」について詳述されている。 昭和五年(1930)四月十三日午後六時ごろ。板橋町下板橋の医院に生後一ヶ月前後の男児の遺体を抱えた近所の岩の坂に住む作業員福田はつ(40)と、中年男性小倉幸次郎が訪れる。小倉はその男児の実母で同じく岩の坂に住む念仏修行尼小川キク(35)の内縁の夫だと言う。 彼らが医師に言うには、キクが乳をやっている際に誤って圧殺してしまったので診断書を書いてほしいという。不審に思った医師は彼らに「あとで診断書を書く」と伝えて帰し、そのまま板橋署に連絡。検死の結果「掌による圧殺」と断定し同日中に小川キクと小倉幸次郎を拘引し、厳しく追及すると嬰児を窒息死させたことを自供する。 当時、妊娠中絶は技術的、社会的
2014/09/19 リンク