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百人一首第65番目の歌の作者は相模さがみです。 相模守大江公資おおえのきんよりと結婚したことから相模... 百人一首第65番目の歌の作者は相模さがみです。 相模守大江公資おおえのきんよりと結婚したことから相模と呼ばれるようになった人です。 今回は相模について紹介します。 相模とは 生没年が不詳です。 生年998年頃、没年1061年とする説もあります。 女房三十六歌仙の一人で、歌人としての実力は高く評価されていました。 大江公資と離婚した後、一条天皇の皇女や後朱雀天皇の皇女に仕えています。 大江公資との離婚は、大江公資の浮気が原因のようです。 離婚した時期には、自身が中納言藤原定頼と恋愛関係にあったようですが。 多くの歌合にその名が見え、歌壇で活躍していたことがうかがえます。 時代背景 相模という地名について。 古くは相模と武蔵の国のあたりは「身狭(ムサ)」と呼ばれていて、都に近い方を「ムサガミ」、遠い方を「ムサシモ」と分けたようです。 そのうちの「ムサガミ」が「サガミ(相模)」、「ムサシモ」が「
2023/09/13 リンク