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生命と心の連続性を論ずる難しさについて論じてみる - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
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生命と心の連続性を論ずる難しさについて論じてみる - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
最近、たまたま生命(life)と心の(mind)の連続性についての論文を読んだのだけれど、どちらにも多かれ少... 最近、たまたま生命(life)と心の(mind)の連続性についての論文を読んだのだけれど、どちらにも多かれ少なかれガッカリした。生命と心の連続性というとエヴァン・トンプソンの著作が知られているが、どちらの論文にも、トンプソンの著作からの共通の議論みたいのが見られる訳でもなく、それぞれが独自の議論を展開していた どちらの論文の議論も成功してるようには見えなかったが、せっかくなので少しだけ見ていきたい 最近のフリストンの共著論文を濫造しすぎが招いたもの まずは、近年は論文を濫造ぎみのフリストンも共著者の「Examining the Continuity between Life and Mind: Is There a Continuity between Autopoietic Intentionality and Representationality?」だが、これがかなりひどい この論文