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「沖縄強姦殺人事件」とは何か?もっと深く絶望せよ。思想の力は「絶望の深さ」「虚無の深さ」「存在の深さ」に比例するーー佐藤優との対話(5)。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
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「沖縄強姦殺人事件」とは何か?もっと深く絶望せよ。思想の力は「絶望の深さ」「虚無の深さ」「存在の深さ」に比例するーー佐藤優との対話(5)。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
👈応援クリックよろしくお願いします! 吉本隆明は、「丸山眞男論」のなかで、丸山眞男の江戸政治思想史... 👈応援クリックよろしくお願いします! 吉本隆明は、「丸山眞男論」のなかで、丸山眞男の江戸政治思想史研究は、ヘーゲルの弁証法的な世界史の図式を使っているが、ヘーゲルの弁証法が「血塗られている」のに対し、丸山眞男の歴史は、綺麗事で終わっていると批判している。私は、これを読んだ時、戦後の思想に、「死の哲学」「殺す哲学」が欠如しているということだと感じ、深く納得した。 戦前の思想には「死の哲学」「殺す哲学」があった。戦場に向かう青年たちは、哲学や文学、あるいは宗教を必要とした。哲学や文学は、「死の問題」を追求していたからだ。戦前の青年たちにとって「死」は、避けて通れないものだった。「文学者は自殺するが、学者は自殺しない」と柳田國男が「青年と学問」で書いているという話を聞いたことがある。出典を探したが見つけだせなかった。しかし、「なるほど」と思った。 戦後も、太宰治、火野葦平、加藤道夫、三島由紀夫
2016/05/24 リンク