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「迷惑乗り入れ」と抗議された過去も!東京メトロ千代田線の波乱の半世紀 | AERA dot. (アエラドット) | AERA dot. (アエラドット)
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「迷惑乗り入れ」と抗議された過去も!東京メトロ千代田線の波乱の半世紀 | AERA dot. (アエラドット) | AERA dot. (アエラドット)
■“迷惑乗り入れ”と非難された相互直通運転と運転パターンの変更 1971年3月20日、霞ケ関~大手町間が開業... ■“迷惑乗り入れ”と非難された相互直通運転と運転パターンの変更 1971年3月20日、霞ケ関~大手町間が開業。北千住~霞ケ関間の運転になり、列車は5両編成から一気に10両編成に増やされた。同年4月20日、綾瀬~北千住間が開業。併せて国鉄はダイヤ改正を行い、常磐線綾瀬~我孫子間の複々線化と同時に相互直通運転を開始(のちに複々線と相互直通区間を取手まで延伸)し、我孫子~霞ケ関間の運転に拡大された。また、西日暮里の国鉄駅も開業した。ところがこれが大きな波紋を呼ぶ。 まず、綾瀬駅が国鉄管理駅から営団地下鉄管理駅に変わった。これにより、運賃計算が複雑化し、利用客にとっては大変分かりにくいものになった。例えば、松戸から西日暮里まで各駅停車に乗車し、西日暮里から池袋へ向かう場合、松戸~北千住間は国鉄、北千住~西日暮里間は営団地下鉄、西日暮里~池袋間は国鉄の運賃がそれぞれ適用され、割高になる。 また、この