エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
豊臣秀長邸跡「大坂城西の丸」!家康ついに上洛…会談前夜の思わぬ出来事とは?
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
豊臣秀長邸跡「大坂城西の丸」!家康ついに上洛…会談前夜の思わぬ出来事とは?
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 い... こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、豊臣秀長邸跡「大坂城西の丸」!家康ついに上洛…会談前夜の思わぬ出来事とは?です。 ■家康を辿る物語 ついに豊臣秀吉への臣従を決意し、上洛の途に就いた徳川家康。 天正14年(1586年)10月26日、大阪に到着すると、翌日の会見に備えて秀吉の弟・秀長の屋敷に宿泊しました。 秀長邸で家康と秀長が会談していると、そこに思わぬ来客が…。 現れたのは、明日会見する予定の関白秀吉でした。秀吉は家康の手をとると、天下泰平のために臣従してほしいと話したとされます。 一方の家康は、秀吉の着ていた陣羽織を所望。秀吉がその理由を問うと、家康は…。 「もう二度と殿下に陣羽織を着させない」(戦いがあったときは家康が成敗する)と宣言したという逸話が残ります。