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『平家はなぜ滅亡したのか?』宋銭で二分された朝廷。謎の現象「銭の病」に苦しむ人々。しかし、清盛は動かなかった・・・なぜだ?(山田 真哉) @gendai_biz
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『平家はなぜ滅亡したのか?』宋銭で二分された朝廷。謎の現象「銭の病」に苦しむ人々。しかし、清盛は動... 『平家はなぜ滅亡したのか?』宋銭で二分された朝廷。謎の現象「銭の病」に苦しむ人々。しかし、清盛は動かなかった・・・なぜだ? 1179年---それは、平家にとって運命の分かれ目、そして滅亡へのターニングポイントとなる重要な年です。 ●年表:1179年(治承3年) 6月 摂関家領を保有していた娘・盛子が死去 「銭の病」と記される 7月 宋銭への対応で朝廷が割れる 清盛の嫡男・重盛が死去 8月 高倉天皇が「公家新制三十二条」を発布 11月 治承三年のクーデター このうち、6月の「銭の病」が今回のテーマです。 「銭の病」という呼称は、『百練抄』という歴史書の一頁、ある貴族が書いた日記がもとになっています。それは、 ---治承三年六月ノ条「近日、天下上下病悩、號之銭病」--- という記述です。 「近頃、誰もが病に悩んでいる。皆はこれを『銭の病』と呼んでいる」 という意味です。 しかし、この「銭の病