![](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/372489352b9b4007716378b7b6e9d2b937a5088a/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fgendai-m.ismcdn.jp%2Fcommon%2Fimages%2Fv3%2Fmeta%2Ffb_ogp-image.png)
エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
第39回 五島慶太(その二)鉄道会社を合併、「電鉄王国」を築く。その手腕が買われ東條内閣---(福田 和也) @gendai_biz
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
第39回 五島慶太(その二)鉄道会社を合併、「電鉄王国」を築く。その手腕が買われ東條内閣---(福田 和也) @gendai_biz
昭和十四年の目蒲電鉄、東横電鉄の合併を手はじめに、五島慶太はつぎつぎと鉄道会社の合併を進めていっ... 昭和十四年の目蒲電鉄、東横電鉄の合併を手はじめに、五島慶太はつぎつぎと鉄道会社の合併を進めていった。 十四年十月、一般株主への報告として、合併が極めて合理的なものであるという趣旨の報告書を提出している。 「支那事変が第三段階の南支にまで進展するに及びまして、金融、経済その他国内百般の制度に対する統制は一段と強化せられて参りました。(中略)しかしながら、両社はよく時艱に耐えて、目黒蒲田電鉄は一割の配当を継続し、東京横浜電鉄は一分増の九分配当をなし得る好成績を収めることが出来ましたのは、まことに御同慶に堪えざるところであります」(羽間乙彦『五島慶太』) 厳しい統制が敷かれていた、この時代に、一割の配当が出来たのは、やはり五島の経営手腕の冴えによるものと、云わざるをえまい。 五島は、その後も鉄道経営を拡大していった。 昭和十六年九月に小田急の社長になり、同年十一月には京浜鉄道の社長、十九年五月に