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第93回 本田宗一郎(その四)現役を引退した後超多忙人間に―「お礼行脚」で日本中を回った(福田 和也) @gendai_biz
本田宗一郎は、1991年8月5日、午前10時43分、お茶の水にある順天堂大学医学部附属順天堂医院で逝去した... 本田宗一郎は、1991年8月5日、午前10時43分、お茶の水にある順天堂大学医学部附属順天堂医院で逝去した。 入院からわずか15日だった。 晩年、宗一郎は、入退院を繰り返し、死の二年前には脳血栓で倒れ、極秘で入院したこともあったという。 直接の死因となった肝不全は、かなり前からの持病であったが、八十四歳まで生きたのは長命と云ってよいだろう。 ∴ 興味深いのは、現役引退後の藤沢武夫と本田の生き方である。 引退後、藤沢は、六本木の邸宅を改造し、『高會堂』という、呉服、書画、骨董を扱う店を開いた。商うのは夫人と息子さんだったというが、ホンダの仕事からは一切手を引き、完全に隠居を決め込んだのである。 一方本田は一時休みはしたが、本来の行動ぶりが頭をもたげ、日本はもとより、世界を駆けまわる「超多忙人間」になったのだった。 ∴ 宗一郎はまず、銀座裏にあるビルの二階に「本田事務所」を開いた。 ビルの所有
2014/10/05 リンク