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1971年、京都で起きた高校紛争の記録〜左翼運動はなぜ衰退したか(堀井 憲一郎) @gendai_biz
ぼくが見た紛争の残り火 47年前の1971年、京都の高校で紛争があった。 7月の夏の一日、深夜に高校へ侵入... ぼくが見た紛争の残り火 47年前の1971年、京都の高校で紛争があった。 7月の夏の一日、深夜に高校へ侵入した生徒たちによって、教務室が封鎖された。 翌日に予定されていた期末試験を粉砕するためだった。テストは延期されたが、翌日の夕刻に機動隊が導入され、封鎖していた生徒は逮捕された。 その2年後に私はその高校に入学した。 まだ紛争の余燼が燻っていた。ほんの少しだけど。 紛争から2年たった1973年の7月15日、その日は授業がおこなわれず、「2年前の紛争についての話し合い」がおこなわれた。授業を取っ払って、紛争を語る日が設けられていたのだ。一年生にとっては、驚きだった。7月15日は、教務室がバリケード封鎖され、機動隊が導入された日である。ある種の記念日だった。 ただ私はその日、ずっと違和感があった。 何かしらの引っかかりを感じていた。だから、45年前の夏の出来事だけど、いまだにそのイベントのこ
2018/08/21 リンク