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家族が「贅沢品」になる時代……誰が“個人”を守るのか?(河野 真太郎)
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家族が「贅沢品」になる時代……誰が“個人”を守るのか?(河野 真太郎)
家族は「贅沢品」と化した この映画の第一の主題はUBERやAirbnbの名前と結びつけられることの多いギグ・... 家族は「贅沢品」と化した この映画の第一の主題はUBERやAirbnbの名前と結びつけられることの多いギグ・エコノミーである。ギグ・エコノミーにおける労働者は、実質的には「本部」にひどい搾取をされるのだが、雇用契約を結ばず個人事業主として徹底的に個人化されているため、法的・集団的に自分たちを救済することができない。コンビニのフランチャイズの店主たちの過酷な労働の問題など、日本でも同じことが起きている。 リッキーもまさにそのような労働者である。息子のセブが問題を起こし始め、介護労働にアビーは疲れ果て(過酷な、ゼロ時間契約のもとでの介護労働もこの映画の主題のひとつだ)、ギスギスしはじめた家族環境に娘のライザ・ジェーンが精神的に不調をきたしたとき、リッキーは家族を立て直すために1週間の休暇を乞うが、それは許されない。 個人事業主とは名ばかりで、仕事を休めばリッキーには制裁が待ち受けているのだ。