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家族が「贅沢品」になる時代……誰が“個人”を守るのか?(河野 真太郎)
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家族が「贅沢品」になる時代……誰が“個人”を守るのか?(河野 真太郎)
拡張された家族 だが、ずっとそうだったのだろうか。歴史をさかのぼってみよう。 ここで私が注目したい... 拡張された家族 だが、ずっとそうだったのだろうか。歴史をさかのぼってみよう。 ここで私が注目したいのは、新自由主義のはじまり(サッチャーが件の宣言をした1980年代)ではなく、さらにさかのぼって1950年代から60年代である。 5・60年代イギリスといえば、戦後の緊縮体制が終わり、「スウィングする60年代」という言葉が象徴するように、大量生産・大量消費を背景とする、完全雇用の福祉国家が実現した時代とされる。この時代の家族、とりわけ労働者階級家族には何が起きていただろうか。ここで、ある子供が語ったとされる台詞を引用してみる。 「先生が僕たちに、家族の絵を描くように言ったんだ。僕はお父さんとお母さんと、ミッキーと僕の絵を描いた。でも、おかしいんだよ。ほかの子たちはおばあちゃんやおばさん、おじさんとかそういう人たちも描くんだもの。」 これは、1957年出版の、マイケル・ヤングとピーター・ウィルモ