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75年前、敗戦の直前まで「日本国民は笑っていた」のはなぜなのか?(一ノ瀬 俊也) @gendai_biz
伝奇小説『魔界転生』などで知られる作家の山田風太郎は本名・山田誠也、1922(大正11)年1月4日、兵庫... 伝奇小説『魔界転生』などで知られる作家の山田風太郎は本名・山田誠也、1922(大正11)年1月4日、兵庫県に生まれた。医者だった父を早くに亡くし、母はその弟と再婚するが、母もまた誠也が中学生の時に亡くなってしまう。 昭和17(1942)年、家出した山田は東京の沖電気に就職する。事務作業のかたわら医者になるべく勉強を続け、新宿の東京医学専門学校(現・東京医科大学)に入学する。この昭和17年11月から昭和19年末までの山田の日記が『戦中派虫けら日記』(ちくま文庫)と題して刊行されている。 山田風太郎の鋭い人間観察 山田の日記は、戦時中の庶民とその日常生活の詳細な記録として評価が高い。歴史学者の有馬学は、『戦中派虫けら日記』昭和18年1月24日の記事をその一例として挙げる。 この日の夕方、山田たちは工場の下請けの町工場の家に食事に招かれる。親会社の好意をつなぎとめるための一種の「ワイロ」である。
2020/08/14 リンク