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「日本は負ける」…日中戦争が始まったとき、既に日本の敗北を“予見”していた若き海軍兵学校生徒がいた(神立 尚紀) @gendai_biz
今年もまもなく「終戦の日」がやってくる。終戦から76年もの歳月が経ち、体験者の話としてこんにち伝わ... 今年もまもなく「終戦の日」がやってくる。終戦から76年もの歳月が経ち、体験者の話としてこんにち伝わるのはどうしても大戦末期の話題が主になる。だが、原因のないところに結果がないように、大戦末期のことだけを見て「戦争」を語るのは無理がある。戦前、戦中の史料や証言の掘り起こしは、今後ますます大切になってくるだろう。 ――終戦からさかのぼること8年、昭和12(1937)年の支那事変(日中戦争)勃発直後、すでに戦争の先行きについてはっきりと悲観的な所感を日記に記した一人の海軍兵学校生徒がいた。彼はその後、戦闘機パイロットとなり、無謀な戦争への疑問を抱きながらも最前線で戦い、27歳の若さでガダルカナル島上空で戦死した。本人が遺した日記と、遺族や部下だった人の証言から、そんな一人の若者の戦いを振り返る。 宮野善治郎の日記 筆者の手元に、昭和9(1934)年から13(1938)年にかけての二冊の古い日記帳
2021/08/15 リンク