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「浮島丸爆沈事件」から77年…なぜ北朝鮮はいまだに日本政府を非難し続けるのか(伊藤 孝司) @gendai_biz
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「浮島丸爆沈事件」から77年…なぜ北朝鮮はいまだに日本政府を非難し続けるのか(伊藤 孝司) @gendai_biz
同じく、三沢飛行場へ送られたのは朴載夏(パク・チェハ)さん(1923年生まれ)。飛行機を隠すための掩... 同じく、三沢飛行場へ送られたのは朴載夏(パク・チェハ)さん(1923年生まれ)。飛行機を隠すための掩体壕(えんたいごう)や防空壕を掘るのが仕事だった。 「重労働なのに、1分以内で食べ終えてしまうほど食事の量が少ないんですよ。月1回の外出日には古間木駅前へ行ってうどんを何杯も食べました。後で腹痛を起こすのを承知で、20杯も食べる人さえいたほどです」 過酷な労働と約束違反に対し、怒りを爆発させる朝鮮人労働者たちもいた。忠清北道忠州(チュンチョンプクドチュンジュ)市で金昌植(キム・チャンシク)さん(1921年生まれ)と会った。 「面の兵事係が持ってきた徴用令状には、青森県の海軍施設部で働くようにとありました。三沢飛行場で整地作業をしていた時、体格の良い者だけが選ばれて岩手県の砕石場へ送られたんです。飛行場建設で使うための岩を砕くという重労働でした」 米軍による爆撃も受けた。雪の中での作業なのに、