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『天馬賦』石川淳 - 関内関外日記
とたんに、義足の憤怒をもつて、陽根が立つた。立つて、どうなるのか。ひとりぼつちの陽根であつた。(... とたんに、義足の憤怒をもつて、陽根が立つた。立つて、どうなるのか。ひとりぼつちの陽根であつた。(「天馬賦」) この短篇集を読みおへたのは二十一日か二十二日のことであつたが、その後にトマス・H・クツク(←眞ん中が顔に見へないか)とポール・オースターの長篇を読んだので、ついつい感想を記し忘れてゐた。この作品集には、六つの短篇と、「天馬賦」は中篇かな、全部で七篇が收録されてゐる。どれも戰後の燒け跡だとか戰國の世だとか舞台は違へども、何かスルリと自由へと拔け出てしまふやうな、そんなテーマが根柢にあるやうだ。「天馬賦」で大岳老人の語る絶對自由の精神といふやつかね。そうだ、そこら邊り『至福千年』を思ひだしたな。あと、孫のイヅミはこないだ讀んだ『白描』の少女と同じタイプの少女だな。どちらも冷たい感じもする活動的な女で、どこかへ去つてしまふ。 この本の解説によれば、石川淳は「惡の藝術」「ウソの文學」といふ