エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
なつき戦史室 | 大突破か? 小突破か? ソンムにおける騎兵
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
なつき戦史室 | 大突破か? 小突破か? ソンムにおける騎兵
●背景 1915年12月6日から8日にかけて、フランスのシャンティーChantillyにおいて連合国の軍事会議が行わ... ●背景 1915年12月6日から8日にかけて、フランスのシャンティーChantillyにおいて連合国の軍事会議が行われた。出席したのはフランス、イギリス、ロシア、イタリア、セルビア、ブルガリアの代表である。 ジョセフ・ジョフルとウィリアム・ロバートソン。(IWM Q 34843) 会議において、フランス軍総司令官ジョフルは“同時期の協同攻勢”により“ドイツおよびオーストリア軍を叩きのめす”ことを主張した。1915年の作戦では、連合軍は個々に戦いを挑み、対するドイツ・オーストリア軍は内線の利を生かしてうまく立ち回っていた。それを反省してのことである。各国代表もこれに異存はなかった。 シャンティー会議のあとの12月19日、フレンチが解任されてダグラス・ヘイグがイギリス大陸派遣軍の司令官となる。また同じとき、ロンドンでは、間に合わせの参謀総長だったアーチバルト・マーレーが解任され、ウィリアム・ロ