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清少納言と紫式部はライバル関係だった?
清少納言と紫式部は、ともに平安時代中期に活躍した女流作家であり歌人で、仕えた主は、同じ一条天皇の... 清少納言と紫式部は、ともに平安時代中期に活躍した女流作家であり歌人で、仕えた主は、同じ一条天皇の妃でした。 清少納言が仕えた主は、中宮・定子、紫式部が仕えた主は、中宮・彰子です。 そして、定子の父・藤原道隆と彰子の父・藤原道長は実の兄弟です。 道隆と道長は、自らの娘を天皇と結婚させ、その子供を天皇として即位させることで 自身は保護者・後見者として摂関政治を行おうと考えていたのです。 清少納言と紫式部は同じ天皇の妃に仕え、時を同じくして活躍した女流作家なので、 お互いをライバル視していたのでは?と言われていますが、正確には二人が仕えた妃やその親こそが政治的ライバル関係だったと言えます。 さらに、定子と彰子は活躍した時期は重なっておらず、清少納言の活躍後に紫式部が有名となり、同時代に直接対決したライバルではないようです。 清少納言と紫式部の間に交流はあったのか? 二人が仕えていた妃は、同じく一