長州藩の維新志士・桂小五郎は一方で木戸孝允という名前も有名です。 一般的には幕末期の維新志士時代には「桂小五郎」、明治になり新政府の一員となってからは「木戸孝允」を以て呼ばれている印象を受けます。 なぜ彼は桂小五郎から木戸孝允に改名したのでしょうか。それはいつのことなのでしょうか。(以下、桂小五郎/木戸孝允のことは「彼」と表記します) 多くの名前を名乗った 彼は8歳になるまで「和田」を名乗っています。これは彼が天保4年(1833)に毛利元就の7男・天野元政の血統にあたる長州藩の医師・和田昌景の長男として萩に生まれたことによるものです。 その後「桂」を名乗るようになります。これは幼い頃から病弱だったため7歳で向いの桂家の末期養子となったことによります。 末期養子というのは、死の間際に養子を迎え、お家の断絶を防ぐもので、彼が養子となってすぐ養父・桂九郎兵衛孝古は亡くなっています。その翌年には養